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コラム

ひなた代表の毛利美絵からの訪問看護を担う次の世代へ向けたメッセージ

2025.8.26 エピソード

私が訪問看護師になったワケ【前編】

始めて3日で、訪問看護は天職だとわかった

看護師という仕事に就いて、もう随分と長い時間が経ちます。その中でさまざまな現場を体験してきましたが、「私はこの仕事がしたかったんだ!」と心から実感できたのが訪問看護師でした。始めてすぐ、天職だと気づいたんです。

手に職を付けたくて看護学校に

そもそも、私が看護師という仕事を選んだのは、生きていくため。胸を張れるような崇高な志があった…わけではなくて、手に職を持ちたいという思いからでした。 というのも、幼い頃から我が家はとにかく貧乏で、食べていくのがやっと。そんな状況でも、父と母は案外呑気で、どこか浮世離れしたところがありました。そんな親を持つと、子どもはしっかり者にならざるを得ないのか、すぐ上の兄は中学を出て働きに出て家計を支えました。私も同じく、中学を卒業したら働くつもりでしたが、「高校へいけ」という兄の強い勧めもあり、進学することに。それでも、家や兄に負担をかけたくなかったので、奨学金で通えるところを探しました。 そうして選んだのが、癌研究センター付属病院看護学校です。手に職が付けられるし、卒業後に就職の心配をする必要もありません。それに何より、3年間働けば、奨学金を返さなくていい、というのもありがたいと思いました。 必死に学んで、卒業後はしっかり働き、兄を助けようと心に誓いました。

人の誕生から最期のときまで、いろいろな現場を体験

けれど、卒業していざ働きだしてみると、癌研究センターでの仕事って本当にシンドイんです。主に精神面が…。毎日、死と直面する環境ですから、精神がゴリゴリ削られていきます。だからといって、手を止めるわけにはいきません。身体の疲れは、当時はまだ若かったのですぐに回復するんですが、心がどんどん疲弊していくのを感じていました。 結局、奨学金が免除になるのを待って、産婦人科医院に異動。人の最期ばかり見てきたので、今度は誕生の場面に立ち会いたいと思ったのです。助産師の介助として働く日々はそれなりに充実したものでしたが、訪問看護師として働いている今と比べてしまうと、物足りなさを感じてしまいます。その頃はまだ、看護師が自分の天職だ、とは思っていませんでしたから。 その後も、2~3年ごとに異動をくり返し、いろいろな現場を体験してきました。救急の担当になったときには、いい経験をたくさんさせてもらったと思います。 最初は生きていくために、と選んだ看護師でしたけど、自分にとってこの仕事がとても大切なものだと知ったのは、年を経て、現場よりも管理する側の仕事が増えてきた頃です。患者さんの近くで患者さんのために働くことが楽しいのだ、と実感しました。そう考えれば、15歳の私が手に職をつける手段として、他でもない看護学校を選んだことは、偶然ではなく、必然だったと言えるのかもしれません。

今も悔いが残る、母との最期のとき

もっと現場で看護の仕事がしたい。そんな思いをくすぶらせる中で、私を訪問看護へと導く出来事が起こります。 それは、母が寝たきりとなり、自宅療養をしたことでした。 当時、私は結婚して福井に住んでいました。実家は千葉にあったため、私も週末ごとに通ってはいましたが、母の世話は父や兄が頼りでした。けれど、父も兄も当然、看護のプロではありません。目の行き届かないところ、手の及ばないところがあるのは仕方のないことです。父も兄も頑張ってくれてはいましたが、母は骨が見えるほどひどい床ずれができてしまい、入院を余儀なくされました。 私は母を自宅で看取りたいと思っていました。その気持ちはおそらく、父も兄も同じだったと思います。そして、母もたぶん、自宅で静かに逝きたいと考えていたんじゃないかと思うのです。けれど、母は病院へと移り、あっという間に旅立っていってしまいました。 そのときのことは、今も私の中に後悔として残っています。 もっと私がそばにいれば、面倒をみていれば、母は入院することはなかったかもしれない。住み慣れた自宅で、家族に見守られながら旅立つことができたかもしれない。そして、ふと考えるのです。母は何かし残したことはなかったのだろうか、と。心残りはなかっただろうか、と。もしそうだったのなら、最期にしたいことを叶えてあげたかったと、また後悔がこみ上げます。 モヤモヤとした思いを抱えていた私は、まるで、何かに導かれるように訪問看護と出合います。これもまた、看護学校を選んだときと同じく、必然だったのでしょう。

ようやく見つけた、自分がやるべき仕事

訪問看護は知れば知るほど、私の心を強く惹きつけました。そして、思いきってその世界に飛び込んでみれば、これこそまさに、私のためにある仕事でした。 患者さんの近くで患者さんのために。そんな働き方を望んでいた私にとって、訪問看護は理想的です。患者さんがその人らしさを失わず、心残りなく最期まで自分の生をまっとうできるよう、そのお手伝いをさせていただく。これが、私の、ひなた訪問看護ステーションの訪問看護のベースです。 訪問看護だからこそできることがあります。訪問看護にしかできないことも、きっとあります。その一つひとつが、私を動かす原動力です。